秋山城は、南北朝争乱の天平元年(1346年)甲斐源氏 秋山光時、その子、親直によって築城されたと伝えられている。秋山氏は伊勢国司北畠顕能卿に属し、以後南朝
に尽くしたが天正13年(1585年)豊臣秀長に滅ぼされた。
春日門址
宇陀くずれ
元禄7年(1694年)9月29日、織田信長から数えて五代目松山藩主信武38歳の乱心により、重臣田中五郎兵衛
・生駒三左衛門を切り殺すと言う事件がありました。一ヶ月後に信武は自害して果てた。同家は信長の血統であるということを重んじられて、信武の子・織田信休への家督相続こそ認められたが、所領を2万石に減らされた上で丹波国柏原藩へ減移封。国主として扱われていた待遇も、このときに剥奪されてしまった。なお、宇陀松山藩もこれをもって廃藩となった。