山浦景国     やまうら かげくに    (天文十五年〜慶長三年)

 信濃葛尾城主村上義清の男。  源五、
 天文二年 (1553) 父 義清が武田信玄によって、信濃を追われて上杉謙信を頼った。以後謙信の家臣となり外交・合戦・                        守備に活躍。
 天正七年 (1579) 越後北蒲原郡白河荘山浦の領主の家系である山浦家を継いで山浦国清と名乗る。
          同年 御館の乱での功により、景勝から偏諱を受けて山浦景国と名乗る。
 慶長三年 (1598) 景勝の会津移封では安達郡塩之森(四本松:しほのまつ)城代。

    のち上杉氏を辞し、京都にて没。























横田旨俊     (    〜    )

 式部少輔。
 葦名家没落後、直江氏の配下となった。
 慶長 五年 (1600) 山形合戦では、第二陣として篠井泰信、本村親盛らと里見民部が守る上山城(上山市)
 を攻めるが、物見山の戦合戦で敗北。また、この戦いで本村親盛が討死した。