元弘三年、後醍醐天皇の綸旨を受けていた菊池武時は一族の武重・三郎頼隆・加恵入道・葉室高義らと博多の北条英時を討つべく探題館に攻め入りました。
しかし、予め示し合わせた少弐貞経・大友貞宗の離反にあい、死を覚悟した武時は、武重を呼び「肥後へ帰り志を継ぐ」ことを諭しました。
左の絵は、その時の武時と武重の別れの場面を表したものです。
すざくてんのう   てんけい
朱雀天皇の天 慶元年(九三八年)
 ひ  ご こくし   びとうたかふさ     おおだんな
肥後国司 尾藤隆房を大 檀 那
しょうけいほういん かいそ
證慶法印の開基と伝えられてい
    
ます。
武時の詩


知らでや人のわれを待つらん
ふるさとに今宵ばかりの命とも
袖ケ浦の別れ
山門横の祠におわします諸佛
この「案内盤」の文字は、殆ど消えてしまっていました。
訪れる人に、知らせるのが案内です。
室町期
室町期
平安期
不動明王
県指定文化財
毘沙門天立像
県指定文化財
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木造千手観音立像
わ た る  ざ ん
輪足山
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東 福 寺