菊池千本槍の由来
   新田義貞の軍に従って箱根の竹の下に足利勢を迎え撃った
  菊池武重の考案によるもので、青竹の先に小刀を結びつけて、
  にわか作りの槍ぶすまをつくって、勝機を得たと伝えられて
  います。
 鷹の羽無は古来武人の象徴とされてきた。鷹は俊敏で、その姿は数ある鳥のなかでも群を抜いて誇りに満ちた姿であったことから武士の間で尊ばれました。
 竹崎季長の戦功を描いた絵巻物『蒙古襲来絵詞』と呼ばれる絵巻の中に、文永・弘安の役に活躍した肥後の武士 菊池次郎武房が二枚並び鷹の羽をかかげて異国の敵に立ち向かっている。
 これがもっとも古い鷹の羽紋の記録で、鎌倉時代から用いられていた事が知られるのである。
 鷹の羽紋は菊池氏、阿蘇氏の一族を始めとして武士の間に広まって言ったといわれています。 徳川氏に仕えた西郷氏も菊池氏の一族を称し、鷹の羽紋を使用した。
         文 参照 家紋Word
後醍醐天皇の皇子 懐良親王を奉じて勤皇の為に一族を率いてその生涯を捧げた武将。
 その父、武時公もやはり天皇の綸旨を受け、九州探題 北条英時の館に討ち入り、華々しく戦死を遂げた。
その栄誉は、かの 楠 正成をもって、建武政権樹立の随一の功労者であると言わしめたと言われる。
 千本槍の製作者、菊池延寿は、国光の父 弘村が大和より来て菊地延寿を名乗り、子に延寿国光、延寿国吉、国時などがあり、菊池氏没落後は玉名に移り、同田貫(どうたぬき)の名刀を製作している。
同田貫は、重ねが厚く、身幅も広いので、重量もかなりあり実戦用の太刀として有名です。
不朽の名作「子連れ狼」で柳生烈堂と死闘を繰り広げる主役の拝一刀の差料が同田貫(子連れ狼の中では胴太貫と表記したあったように記憶しています。)であったことから一躍有名になりました。
寂阿
第十四代
第十五代
第十三代
第十二代
菊池文化資料
並び鷹の羽
菊池千本槍
菊池武士像
武士公
武光公
武重公
武時 公
菊 池武光公