踏破隊
 鹿児島より戦跡踏破隊の若者たちが毎年島津軍
の遺徳を偲び、関ヶ原、上石津町をたずねています。
わたくしたちの友達として、温かい心で迎えましょう。
捨てガマリ戦法 (座禅陣)
  薩摩人の考えた戦術で、しんがり隊が自分を
犠牲にして敵をふせいだので、義弘は遠く戦場
からはなれることができました。
捨て奸(すてかまり)

 退却戦で独り敵に向かって、槍を突き立てて座り、鉄砲を構えて敵を待つ。
敵が至近距離に来たところで狙いを定め狙撃する。相手がひるんだ隙に槍を
構えて突撃するという殿(しんがり)戦法。
自分が生きて帰る望みは無く、ひたすら味方を退かす為の捨て身の戦法
切り絵 : 作家 増田 清風
敵前突破の殿軍をつとめた豊久は、烏頭坂の激戦で重傷を負い、残兵らと、
伊勢街道を南下し、勝地峠で追討の井伊直政らの軍勢を待伏せ、激戦の末、
直政に手傷を負わせるなどして敵を退かせました。
瀕死の豊久は従者たちに護られ、一旦 上多良の白拍子の谷に身を隠し、さ
らに南下して瑠璃光禅寺のあるこの樫原の地に逃れました。
名主の三輪内助入道一斉にかくまわれ手厚い看護を受けたが、豊久の傷は
重く逃走の手足まといになることを避けるため、この地で自刃して果てたとい
われています。。
入道は、瑠璃光禅寺に豊久を葬り菩提を弔ったそうです。
瑠璃光禅寺には、島津豊久公の位牌が安置されており、裏のカンリン藪に豊久公の五輪塔があります。
瑠璃光禅寺